御浜下りPV ー千葉市中央区寒川神社 御浜下りー

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  • Опубликовано: 10 фев 2025
  • 千葉市中央区寒川地区に伝わる「御浜下り」のプロモーションビデオです。
    千葉市の寒川神社では毎年8月20日、海に神輿を担ぎ入れる「御浜下り」を行っていましたが、昭和30年代に海岸が埋め立てられたことで消滅しました。平成10年頃から地域の人々が復活に取り組み、千葉ポートパークに設けられた人工海浜に場所を移して復活させました。その取り組みが評価されて千葉市地域文化財にも指定されました。
    御浜下りを守ってきた古くからの氏子の減少や高齢化などにより、にない手や寄付金の減少が続いています。
    この「御浜下り」は今は寒川地区の総鎮守である寒川神社の祭礼として行われていますが、もともとは千葉妙見宮(現・千葉神社)の祭礼として行われていたものです。千葉神社は1126年に千葉氏によって千葉に町が開かれた(「千葉開府」)ときに一族の守護神である妙見尊をお祀りした千葉の守護神ですが、その祭礼は「千葉開府」の翌年から行われてきました。
    往時の千葉は、都川を境に、武士町であった「堀内」と町人町であった「市場」によって構成されており、「堀内」は「千葉町」へと、「市場」は「結城」と呼ばれた時代を経て「寒川村」へと引き継がれました。千葉妙見宮の祭礼では、旧暦7月16日に妙見宮を出た神輿は、都川を渡って「市場」に入ってすぐの場所にある「御仮屋」に7日間とどまり、22日にふたたび妙見宮へと帰りましたが、その期間中に20日に、当時「結城」と呼ばれていた「寒川村」の人々の手によって「妙見洲」で海に担ぎ入れられました。妙見洲は現在の出洲港付近です。古い文献には「御浜下りは結城町人の役なり」と記されており、寒川地区の人々が長く守り伝えてきました。
    2026年、千葉市は開府900年を迎えます。長い歴史がありながら古いものが残っていない千葉市にあって、この「御浜下り」は千葉開府にも関わる、まさに「千葉のアイデンティティー」ともいえる千葉市の財産です。これからは広く市民の手によって未来に受け継いでいきたいと考えています。

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